多発性骨髄腫ブログ[初期症状~診断のきっかけ~初期治療をつまずいた原因]

母が多発性骨髄腫です。年齢は70歳。

診断を受けたのは6年前です。

母が多発性骨髄腫の診断を受けたきっかけと、初期症状、診断のきっかけと、初期治療にづまずいた原因などまとめています。

多発性骨髄腫の診断を受けたきっかけ

母は超近眼で、目の病気も患っているので視野が狭いです。

若いころから、よく柱にぶつかったり、床の凸凹につまずくような人でした。

60代も過ぎたある日、家の前の段差で転びました。

その時、母はよそ見しながら5cmほどの段差から踏み外したのです。

元気な母ですが、年齢的に足腰の筋肉も弱っていたので、家族も「よくあること」としてかんがえていました。

母は尻もちをつき、最初は「打撲」だろうと考えていたのです。

でも「よくある打撲と何か違う。ずっと痛い。」と母が言っていました。

整形外科での診断は、「骨折」

この時の診断をしてくれた整形外科医の先生が、良い先生だったのでしょう。

先生の診断は「骨折」だけで終わらず、検査の結果「多発性骨髄腫」と言われました。

多発性骨髄腫の初期症状に、

  1. 骨粗しょう症
  2. 圧迫骨折
  3. 腰痛
  4. 貧血
  5. 疲れやすい
  6. 便秘

などもあるのですが

年配の人にとって骨粗しょう症や圧迫骨折、腰痛も便秘も疲れやすさも、全てよく聞く症状で紛らわしいです。

だから「多発性骨髄腫かも?」なんて、これっぽちも思わなかったのです。

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多発性骨髄腫診断後の初期の治療

母の治療は、骨折が治るとすぐに始まりました。

治療方法は、入院して抗がん剤で様子をみるというもの。

ところが抗がん剤で思うような効果が得られる前に、母が

「抗がん剤の副作用に耐えられない。」

と言うようになりました。

母が主治医に

「抗がん剤の副作用が辛いから、治療方法を変えて欲しい。」

と頼んだところ、主治医の先生が怒り始めたのです。(母の証言のみ)

主治医の先生には、「副作用があっても抗がん剤が必要だ」という考えがあったのだと思います。

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多発性骨髄腫でも抗がん剤治療は辛すぎる

多発性骨髄腫の診断を受けてから約1年後のことです。

母は退院して自宅療養に移りましたが、抗がん剤の副作用は続きました。

 

どんながん治療でも、抗がん剤は辛いものだと聞きますが

母の足は赤黒く腫れて痛くて夜も眠れずいつも気持ちが落ち込んでいました

読書が好きで、よく本を買う母でしたが

このころに買っていた本は、軒並み

「抗がん剤治療はダメ!」

「副作用があるということは、間違った治療!」

という内容の本ばかりだったのです。

抗がん剤の副作用が辛かった母には、耳障りの良いことばかり書いてあったのでしょう。

 

そして母は、病院に通うのをやめました。

治療方法をめぐる考え方と知識の違いで、母と主治医の先生の信頼関係は完全に壊れてしまったのです。

元々母は思い込みが激しく、民間療法やスピリチュアルなことが大好きな人で

あっという間に、多発性骨髄腫の治療を民間療法特殊な医者のみに頼る治療にシフトしました。

母が多発性骨髄腫の初期治療をつまずいた原因

母が多発性骨髄腫の初期治療につまずいた原因は

  1. 抗がん剤の副作用が辛過ぎる。
  2. 主治医を信用できない。
  3. 抗がん剤を否定する医師がいる。
  4. 多発性骨髄腫の初期症状は病気っぽくない。

この4つです。

抗がん剤の副作用が辛すぎるのは、家族も本当にどうにもしてあげられないので、母の決断を責めることはできませんでした。

「主治医を信用できない」ことについては、医療従事者に改めて頂きたいところです。

特別に心の弱い患者もいるし、難しい話を理解できない患者もいるのです。

医者が患者に「黙って信じてついて来い。」ではダメなんだと思います。

「抗がん剤を否定する医師がいる。」ことについては、新聞広告の影響はすさまじいです。

  • 「波動医学」
  • 「ゼロ磁場」
  • 「音響免疫療法」
  • 「抗がん剤は使っちゃダメ!」
  • 「医者に頼らなくてもガンは消える」
  • 「抗がん剤の正体」
  • 「抗がん剤、いつやめる?」

⇧このようなタイトルの本や広告は、そのへんにあふれています。

抗がん剤の副作用が辛くて逃げだしたいとき、藁にもすがる気持ちで手に取ってしまう…ということは容易に想像できます。

母も、抗がん剤の副作用に耐えられませんでした。

母本人は言いませんが、少しくらいは迷いがあったと思います。

でも母は、民間療法での多発性骨髄腫の治療を選びました。

 

もう一つ、「多発性骨髄腫の初期症状が病気っぽくない」ことは、抗がん剤治療を嫌がる一番の原因ではないでしょうか。

母はよく「私は薬の治療を初めてから病人になった。」と言っていました。

さいごに

多発性骨髄腫って、母が診断を受けるまで、全く病名を聞いたこともありませんでした。

私は母とは住んでいる地域が離れています。

母には一緒に住む父もいるし、近くに姉の住んでいるので、めったに会えない私が治療方針に口を出し難かったのは事実。

でも会うたびに、民間療法どっぷりで、怪しげな治療法にはまっていく母を見ていると、やるせなかったです。

多発性骨髄腫でも、違う病気でも、病気になったら全部医師に任せるのではなく

自分も精いっぱい勉強しなきゃいけないのだとわかりました。

そして、自分より先に同じ病気になった人の体験談は、本当に心強いものです。

私自身が多発性骨髄腫になったわけではありませんが、家族の目線から書かせていただきました。

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