大河ドラマ『おんな城主直虎』で瀬戸方久(せとほうきゅう)が言っていた、商人で賑わう街”気賀”ってどこにあるのでしょう?
そして気賀は誰が治めていた町なんでしょう?
又、気賀の歴史や史実をまとめます。
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もくじ
気賀の町はどこにある?
大河ドラマ『直虎』で瀬戸方久(ムロツヨシさん)が話題にしていた”気賀”は、静岡県の西部にある浜松市北区に位置します。
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気賀の町は史実ではどんな町だった?
気賀の町は、昔から三河と遠江を結ぶ重要な交通の要所でした。
気賀の町が、交通の要所になった歴史は古く、縄文時代のころから存在したと言われています。
江戸時代には東海道の脇街道の一つ”姫街道”(又は本坂 (ほんざか) 通りとも言います。)として栄え、関所があった所です。
”姫街道”と呼ばれる所以は、女性が多く利用したことです。
というのも、東海道は浜名湖周辺は、大きく分けて2択になります。
湖の南側を通るか、北側を通るか…。
基本の東海道は、浜名湖の南側ですが、浜名湖を渡ることはとても危険で、女性たちは遠回りになっても峠越えになっても、安全な北側の街道を多く利用した、ということです。
”姫街道”と呼ばれるようになったのは、井伊直虎が亡くなった後で、徳川家康の家臣・本多作左衛門が宿を作ったことから始まりました。
だから直虎が生きていた頃は、まだ関所もなかったわけですが、人が多く通る町であり、早くから商売人が集まっていたのかもしれませんね。
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気賀の町は誰が統治していた?
この気賀の町、直虎が生きている時は誰が統治していたかというと・・・
今川氏の家臣で代官をしていた中村氏です。
ということは、瀬戸方久(ムロツヨシさん)が気賀で商売しよう!と言い出した時は、まだ今川氏家臣の領地だったんですね。
その後、井伊谷が小野但馬守政次(高橋一生さん)に乗っ取られた年に、徳川家康が遠江に入った時に、中村氏は今川氏から徳川家康の方に寝返ります。
その後中村氏はずっと徳川家に仕え、奉行や代官を務めました。
中村氏は、先を読む能力と決断力に優れていたんでしょう。
徳川家康の側室・お万の方が、築山殿(菜々緒さん)を恐れて中村氏の屋敷(宇布見村…現在の雄踏町 )に居た頃、家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)が生まれました。
気賀の町は、徳川家康と縁のあるところなんですね。
大河ドラマ『おんな城主直虎』では、中村氏はヤリ手商人として描かれ、本田博太郎さんが演じます。
ドラマ中の気賀の町は、オリエンタルな雰囲気でシルクロードの街の一つみたいです。史実とは違うドラマオリジナルな気賀の街を楽しみたいです♪
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