又吉直樹大河ドラマ『西郷どん』で徳川家定役!役どころや史実は?子孫はいる?

   

又吉直樹さんが大河ドラマ『西郷どん』で徳川家定役を演じます!

又吉直樹さんのプロフィールを再確認して、『西郷どん』での役どころに迫ります。

そして徳川家定の史実、嫁、子孫についても詳しくわかりやすく紹介します♪

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又吉直樹のプロフィール

又吉直樹さんのプロフィールは、全部書いちゃうと多すぎなので、ざっくりまとめます!

  • 本名・・・又吉直樹
  • 生年月日・・・1980年6月2日(現在37歳)
  • 出身地・・・大阪府寝屋川市
  • 出身校・・・北陽高校(現:関西大学北陽高等学校)
  • 身長・・・164cm
  • 事務所・・・よしもとクリエイティブ・エージェンシー
  • 芸能界デビュー年・・・1999年頃(高校を卒業してから吉本総合芸能学院に入った)
  • 芸能界デビューのきっかけ・・・お笑い芸人に憧れていた
  • 作家デビュー年・・・2007年頃
  • 作家デビューのきっかけ・・・芝居の脚本『凛』
  • 俳優デビュー・・・2002年映画「青い春」
  • 大河ドラマ歴・・・「西郷どん」が初めて

又吉直樹さんは、言わずと知れた芥川賞作家です。

でも作家になる前は、綾部祐二さんとコンビを組んでいた人気のお笑い芸人「ピース」として活動していたんですよね♪

↑クリックで動画にとびます

小説「火花」はお笑い芸人を主人公に描かれた物語で、2016年には林遣都さん主演でドラマ化され、2017年に菅田将暉さん主演で映画化されましたね!

↑原作の小説「火花」です。

↑ドラマ化された「火花」です!

 

そんな又吉直樹さんが大河ドラマ『西郷どん』で演じる徳川家定の約どころとは・・・

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又吉直樹が大河ドラマ『西郷どん』で演じる徳川家定の役どころ

又吉直樹さんが大河『西郷どん』で演じる徳川家定(とくがわいえさだ)は、江戸幕府13代将軍です。

12代将軍・徳川家慶の息子です。

家定(又吉直樹さん)は四男だったのですが、お兄ちゃんたちが幼くして亡くなったので、13代将軍となりました。

で、家定くん、生まれつきキャシャリンで、病気がちだったのです。

嫁をもらっても、なかなか子供ができなかったので、徳川幕府にお世継ぎ問題が勃発し、幕府の中も諸大名も権力争いでゴタゴタしておりました。

 

そこに、薩摩の島津斉彬が養女・篤姫を嫁によこしたのです。

篤姫もどうせ薩摩からのスパイみたいなもんだし・・・と思っていた家定(又吉直樹さん)でした。

しかし、篤姫がとっても真っ直ぐでステキな女性だったので、家定も少しずつ心を開いて篤姫に打ち解けて、つかの間の幸せな日々を過ごすのです。

そしてついに、病に倒れ、篤姫を残してこの世を去ります。

 

う~ん、結局、篤姫とも子供ができませんでした。

この時代の身体が弱いって、どういう風に弱いんでしょうね。

では史実の徳川家定について見てみましょう!

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大河『西郷どん』で又吉直樹の演じる徳川家定の史実

大河ドラマ『西郷どん』で又吉直樹さんが演じる徳川家定さんのプロフィールはこちら!

  • 生年月日・・・1824年5月6日
  • 没年月日・・・1858年8月14日(満34歳)
  • 兄弟姉妹・・・兄弟13人、姉妹13人
  • 将軍就任・・・1853年(29歳)
  • 持病・・・脳性麻痺?
  • 嫁1号(正室)・・・鷹司任子(天親院)
  • 嫁2号(継室)・・・一条秀子(澄心院)
  • 嫁3号(継室)・・・近衛敬子(天璋院)
  • 嫁4号(側室)・・・志賀

家定は生まれつき身体が弱かったって、だからどういう症状だったのか、今となってはハッキリと知ることはできませんが、「脳性麻痺」を患っていたのではないかと言われています。

そして極端に人嫌いで人前に出ることを嫌がったというので、天然痘の跡が顔にたくさんあったのでは?とも言われています。

元々身体も弱かったし、性格的にも将軍肌でもなかった家定を見て、父の家慶(いえよし)は親戚の徳川慶喜を13代将軍に・・・と思っていたのですが、老中たちに大反対されて、仕方なく家定が将軍となったのです。

家臣たちも、家定だったら言う事聞かせられそう♪という思惑があったでしょうね。

 

父・家慶が亡くなるちょっと前に、日本に黒船が来て国中てんやわんやの時に将軍となってしまった家定。

1854年2月13日(家定29歳の時)に日米和親条約に調印した。・・・っていうかさせられました。

家定にとって辛いことは続きました。

子供ができなかったのです。

ドラマでは篤姫と仲良くなりますが、実際は数えるほどしか顔を合わせていなかったのでは?と言われています。

子供ができるとかできないとかの前に、夫婦生活はあったんかーい!?というところです。

 

そうなると次期将軍を巡って、諸大名がザワザワし始めて、

  • 井伊直弼たちが推す紀州藩主の徳川慶福(徳川家茂)
  • 島津斉彬たちが推す一橋慶喜(徳川慶喜)

の二人の候補を巡って争いが起きてしまいます。

自分は何のために将軍になったのか、家定はさぞ辛かったことでしょう。

このまま、家定はただの「つなぎ」の将軍で終わる・・・と大名達は思っていたでしょう!

しかし!家定は紀州藩主の家茂(当時は慶福)を次の将軍と決めて、一橋慶喜を推していた大名たちを処分したのです♪

っていうか、それ、篤姫のお義父さんだけど!?

 

その後、廃人のようになるまで弱ってしまった家定は、34歳の若さで亡くなりました。

「廃人のよう」ってどういう状況なのか、ちょっと想像できません。

そんな家定の側に4人の嫁がおりました。

 

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徳川家定の嫁たち

家定の最初の嫁は、鷹司 任子(たかつかさ あつこ)さん。

  • 生年月日・・・1823年10月8日
  • 嫁入り・・・1831年(7~8歳)
  • 没年月日・・・1848年7月10日(25歳)

8歳で嫁に来たのも大変なことだけど、亡くなった原因は天然痘でした。

 

二番目の嫁は、京都から嫁いだ一条 秀子(いちじょう ひでこ)さん。

  • 生年月日・・・1825年10月
  • 嫁入り・・・1849年11月22日(満24歳)
  • 没年月日・・・1850年7月14日(満24歳)

秀子さんはかなりミクロさんだったみたいで、当時の書物には身長1mくらいと書かれていました。

しかし後に遺体から推測された身長は1m30cmほど。

それでも十分低身長ですね。

そして、両足の長さが不均等だったとも言われていて、膝の骨と歯に変形があったそうなので、先天性の障害があったのだと思います。

おまけに、輿入れの道中に火傷が原因になって、嫁入りから半年後に亡くなったと言われています。

本当に火傷が原因日どうかわかりませんが、元々、関白一条忠良の十四女という「良いところのお嬢さん」が24歳まで嫁にいってなかったのも、障害のため、生まれつき身体が弱かったのでしょうね。

 

 

三番目の嫁はご存知、近衛敬子(天璋院)こと、篤姫です!

  • 生年月日・・・1836年2月5日
  • 嫁入り・・・1856年11月(満20歳)
  • 没年月日・・・1883年11月20日(満47歳)

篤姫は、高貴な生まれではなかったのに将軍の御台所となるという、数奇な運命を辿った人ですね。

篤姫の史実はこちら

 

四番目の嫁っていうか、側室に志賀(しが)さんという人がいました。

  • 生年月日・・・不明
  • 嫁入り・・・大奥にいてなんとなく
  • 没年月日・・・明治のはじめだけど不明

旗本の堀利邦の娘で、家定から愛された人だったそうです。

優しい人だったのかな~と思いましたが、色々噂があります。

家定亡き後は、亡き夫の菩提を弔う日々だったとか

大奥で買ってもらった高価なものを地元に持って帰って、裕福に暮らしたとも言われています。

 

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徳川家定の子孫はいる?

徳川家定は生まれつき身体が弱く、元気な篤姫とどれくらい仲良くしたのかはわかりませんが、会いしていたという志賀にも子供はできませんでした。

だから家定の子孫はいません。

家定の後、将軍になったのは従兄弟の徳川家茂(とくがわ いえもち)です。

 

又吉直樹さんが演じる徳川家定、どんな雰囲気なんでしょうね!楽しみです♪

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