増田修一朗大河『西郷どん』で有馬新七役!役どころと史実はどんな人?子孫はいるの

   

増田修一朗さんが大河ドラマ『西郷どん』で有馬新七を演じます!

プロフィールや、有馬新七という役どころ、史実も合わせて紹介します。

子孫の方がいるかどうかも気になりますね!

スポンサーリンク

増田修一朗のプロフィール

増田修一朗(ますだ しゅういちろう)さんの簡単なプロフィールはこちら!⇩

  • 生年月日・・・1980年12月4日(現在37歳)
  • 本名・・・増田修一(ますだしゅういち)
  • 出身地・・・東京都
  • 身長・・・184cm
  • デビュー・・・2007年くらい(26歳)
  • 趣味・特技・・・スキー、ラグビー、乗馬、殺陣、英会話
  • 主な出演ドラマ・・・「ノンママ白書」、「赤い博物館2」、「医龍3」
  • 主な出演映画・・・「永遠の0」、「ミュージアム」、「図書館戦争」
  • 大河ドラマ歴・・・「軍師官兵衛」(大友義統 役)

増田修一朗さんの趣味・特技、を見て、実家がお金持ちかと思いました。

だって、スキーと乗馬って、どちらも上手になろうと思ったらお金がかかるし!

なんとアメリカのオレゴン州へ留学経験ありっていうのですが・・・短期留学?それとも長期!?

英会話も特技って言うからには、ペラペラってことですよね!?

そんな増田修一朗さんが大河ドラマ『西郷どん』で演じる有馬新七

スポンサーリンク

増田修一朗が大河『西郷どん』で演じる有馬新七の役どころ

増田修一朗さんが『西郷どん』で演じている有馬新七(ありましんしち)は、吉之助(鈴木亮平さん)の幼馴染でもあります。

新七は、吉之助と同じ下加治屋町で育ちました。

「神影流(しんかげりゅう)」という剣術の達人で、お勉強もできて、身長も高い文武両道な人です。

更に、吉之助が江戸務めになる際には、支度金集めにめちゃくちゃ協力してくれるという、友情に熱い男

 

江戸に出てからは、儒学者・山口菅山(やまぐちかんざん)の元で崎門学(きもんがく)を学び、究めるところまでやり遂げます。

その後、薩摩藩の藩校「造士館(ぞうしかん)」の先生になります。

そして徐々に尊王思想に染まっていき、過激な思想になる…という役どころです。

 

「崎門学」というのは、儒学者・山崎闇斎(1618年~1682年)の提唱した学問で、儒学の中の一つみたいです。

儒学の場合、「究める」ってどういう状態を言うのでしょうね~?

そしてドラマでも史実でも、吉之助のまわりには、「剣術◯◯流の達人」で「学問に秀でて」って人ばかりですね!

では史実の有馬新七はどんな人?

スポンサーリンク

増田修一朗が大河『西郷どん』で演じる有馬新七の史実は壮絶だった!

 

いつも、イイネやコメント、ありがとうございます🙏💕✨ ここで、いろんな方と繋がれて嬉しいです(๑´▿`๑)❣ . 写真は、亮平どんのブログより📷✨ 有馬新七の紹介まで、やっとこさこぎつけたので、こちらのメンバーが揃いました🙌💖 . 2列目の4人は、西郷さんと大久保さんを慕い奔走する薩摩隼人です🗻🌳 . 小松帯刀、坂本龍馬、勝海舟、徳川慶喜など・・・まだ未発表のメンバーがたくさん!公開が楽しみです🤗🌼 . #せごスタグラム 🌼 #大河ドラマ #nhk大河ドラマ #西郷どん #せごどん #西郷隆盛 #大久保利通 #鈴木亮平 #瑛太 #沢村一樹 #黒木華 #増田修一朗 #北村有起哉 #高橋光臣 #堀井新太 #ドラマ好きな人と繋がりたい #知覧武家屋敷 #シェアカゴ #鹿児島県 #大政奉還150周年 #明治維新150年 #幕末

西郷どん.大河fanさん(@segostagram)がシェアした投稿 –

増田修一朗さんが演じる有馬新七(ありましんしち)の史実のプロフィールはこちら!

  • 生年月日・・・1825年12月13日・・・西郷隆盛より3歳年上
  • 没年月日・・・1862年5月21日(満36歳)
  • 名前・・・正義、新七、武麿、植鈴子
  • 実の父親・・・坂木四郎兵衛
  • 最終的な職業・・・学者

このプロフィールを見て気になるところは、お父さんと名字が違うことと、36歳という若さでなくなっていることですね…。

 

さて有馬新七さん。お父さんの名字な坂木さんという郷士でした。

薩摩藩の武士は、「郷士」と「城下士」がいて、都会に住むビジネスマン的な「城下士」と、田舎に住む「郷士」は、平和な時は農民と同じような暮らしで「半士半農」だったのです。

そんな坂木さん(新七の父)、城下士の有馬さんの養子になりまして、新七も有馬と名乗るようになったのです。

新七の父親は、「四郎兵衛」という名前から四男でしょうから、長男じゃないから都会の武士になれてラッキーだったのかもしれません。

おまけに新七は、本当に賢かったようで、「文武両道の俊傑(しゅんけつ)」と言われていました。

「俊傑」というのは、他の人よりめちゃくちゃよくできる!って言う意味です。

剣術は叔父さんも達人だったそうなので、幼い頃から特訓されていたのでは?と言われています。

 

1843年、新七が17歳の時に、ドラマと同じく、儒学者・山口菅山の門下生になり、儒学を学びます。

1857年、新七37歳で薩摩藩邸学問所教授になりました!

 

1860年の幕府の大老・井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」計画に関与していた新七でしたが、実行部隊には入っていませんでした。

その後、新七は地元の法律っぽいものや刑法などを作り、道の建設をしたり、政治家のような指導者のような人だったようです。

そのまま地元で頑張ってくれていれば良かったのに・・・

次第に過激な尊皇攘夷の思想を持つようになった有馬新七は、仲間(西郷隆盛の弟、西郷従道もいた)と一緒に、関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義の首を持って島津久光にプレゼントしようと計画したのです!(寺田屋事件)

有馬新七たちが島津久光に、「人の首」なんて気持ち悪いプレゼントをしようと思った理由は

最近、

「幕府を倒すなんて物騒だし、べつに倒幕なんてしなくていいしー」

となっていた久光に、

「倒幕、やるしかないな!」

と思ってもらうために、幕府と仲いい人の首をプレゼント♡という計画が寺田屋事件の発端です。←ヒドイ説明・・・わかりますか?

 

久光的には

「冗談じゃねーよ!そんなことやめろよー!!!」

だったのですが、新七たちがやめてくれなかったので、大山格之助(北村有起哉さん)たちを派遣して、

「力ずくでもやめさせろ!!!」

ということになり、力ずくで新七たちをやめさせたのが「寺田屋事件」です。

 

新七たちは粛清側の大山格之助ら剣の達人たちと戦いましたが、その最中に新七の刀が折れてしまいました。

新七は、粛清側の道島五郎兵衛とつかみ合いになり、壁に押さえつけ、仲間の橋口吉之丞に言ったのです。

「オイごと刺せ!」

橋口の刀は新七の背中から、新七ごと道島を貫きました。

新七、36歳。

凄まじい修羅場で、その生涯をとじたのです。

 

あんなに剣術に長けて、勉強もできて、人の役にも立つ人だったのに・・・(見てないけど)

なぜそうまでして倒幕しなければならなかったのか、そんなことしなくてもよかったのに。

久光に首のプレゼントなんて・・・

有馬新七の最後は、残念でなりません。

新七が亡くなってから29年後の1891年(明治24年)、明治政府から従四位が贈られました。

もらったらどうなるのかな?

 

スポンサーリンク

有馬新七の子孫は?

有馬新七は、薩摩藩の中でも優秀な人材でした。

年齢的にも、絶対結婚していると思うのですが、とにかく亡くなった時の事情が事情なので…だと思うのですが、調べても子孫情報が全く出てきません。

結婚していたら、男の子でなくても子供がいた可能性はあるわけで、今日もどこかで有馬新七の子孫の方が懸命に生きて、この平和な世の中で幸せに暮らしているのかも…と想像します。

 

『西郷どん』でも寺田屋事件はやると思うので、増田修一朗さんの有馬新七っぷりを楽しみにしています!

そして泣いちゃうかも…(´;ω;`)

スポンサーリンク

その他の『西郷どん』出演者についてはこちらをどうぞ!

 - 人物, 大河ドラマ