西郷隆盛の子孫は現在どこで何をしている?菊次郎や寅太郎・午次郎の子孫は?

2018年NHK大河ドラマの主役「西郷どん」こと西郷隆盛には、3人の妻がいました。

といっても3人の妻をはべらせていたのではなく、仕方なく結婚を続けられす、その後また結婚し…というちゃんとした(?)結婚・再婚であり、ちゃんと妻でした。

その妻たちが産んだ西郷隆盛の子どもたちのその後や、その子孫たちは2018年の今、どこで何をしているのでしょうか?

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西郷隆盛の結婚歴!

日本の歴史を語る上でかなりの偉人、西郷隆盛(さいごう たかもり)さんの結婚プロフィールを時系列に見てみましょう♪

  • 1828年1月23日(文政10年12月7日)
    薩摩国鹿児島城下加治屋町山之口馬場にて、西郷隆盛生誕
  • 1852年(嘉永5年):1回目の結婚(西郷隆盛24歳)
    結婚相手・・・伊集院須賀(すが)
  • 1854年:1回目の離婚(事情があって円満離婚)
  • 1859年:2回めの結婚(西郷隆盛31歳)
    結婚相手・・・愛加那(あいかな?あいがな?)
    奄美大島に島流しの間だけの妻
  • 1861年:2回めの離婚(規則で仕方なく…)
  • 1865年:3回目の結婚(西郷隆盛37歳)
    結婚相手・・・岩山糸子

では西郷隆盛とそれぞれの妻との間に子供はいたのか、見てみましょう!

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西郷隆盛の最初の妻との間に子孫は?

1852年、西郷隆盛は両親の勧めや周りの勧めで、最初の妻、伊集院須賀(すが)と結婚しました。

でも結婚してすぐ、新婚なのに・・・夫の隆盛は江戸に長期出張!

ぜーんぜん帰ってこない家で嫁として頑張っていた須賀でしたが

隆盛の祖父、父、母が次々と亡くなりました。

新婚の新妻が、夫が海外出張(気分的には)中に、義理親たちが亡くなり、夫の妹・弟達の面倒も家のことも全部しなくちゃいけなくて、おまけに夫の稼ぎも大したことなくて…

別れたほうが良いのでは?と本人たちも周囲にも言われて、円満離婚しています。

子供は・・・夫がいないんだから出来ないですね。

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西郷隆盛の2番めの妻との間に子孫はいる?

西郷隆盛は薩摩藩主・島津斉彬に気に入られて一生懸命仕事をしてきました。

しかし斉彬が亡くなると隆盛は失脚してしまいます。

もう自分の理想は負えないんだと絶望した隆盛は同士だった清水寺成就院の住職の月照と一緒に、産みに飛び込んで無理心中しました。

西郷隆盛が年上の月照というお坊さんを抱えて海に飛び込んだんです!

これに気付いた西郷隆盛の味方たちは、二人を必死に捜索し、見つけました。

その結果、月照は亡くなり、隆盛は友人たちの必死の蘇生術により息を吹き返しました。

すでにお尋ね者だった隆盛は、薩摩藩では死亡扱いされ墓も立てられた上、奄美大島へ島流しされます。

この島流しの間、辛いことも沢山ありましたが、愛加那(あいがな)と結婚し、二人の子供を授かりました。

  • 1860年1月2日生まれの菊次郎・・・隆盛32歳になる年
  • 1862年生まれのお菊(菊子)・・・隆盛34歳になる年

菊、子供の名前、こだわってるね!

実は奄美大島で暮らしていた頃の西郷隆盛は菊池源吾と名乗っていたので、子供の名前に「菊」がついているのだろうと思います。

多分、西郷隆盛が奄美大島で過ごした終わり頃は、子供にも恵まれて、仕事もあって、それなりに幸せだったと思います。

 

しかし流罪から解かれて鹿児島に帰る時に、島の妻をつれていってはいけない規則があったため、泣く泣く離婚することになったようです。(´;ω;`)

西郷隆盛の3番目の妻との間に子孫はいる?

1865年、西郷隆盛39歳の時、岩山八郎太の娘・糸子(23歳)と結婚します。

隆盛と糸子との間には

  • 長男・寅太郎が誕生(1866年8月21日)
  • 次男・午次郎
  • 三男・酉三

の三人の男の子に恵まれました。

寅(トラ)、午(ウマ)、酉(トリ)って干支をそのまま名前に!?

ちょっと子供の名前に衝撃を受けてしまいましが、話を戻します。

 

西郷隆盛と糸子は、後に奄美大島で生まれた菊次郎とお菊を引き取って育てたそうです。

干支3人兄弟と菊。

まさか菊は天皇家の家紋から?

考えすぎかなぁ

 

というわけで、西郷隆盛には少なくとも5人の子供がいた事になります。

では子どもたちはそれぞれ、どこで何をしたのでしょうか?

大河ドラマ『西郷どん』の子孫はどこで何をしている?

二人目の妻・愛加那との間に生まれた菊次郎とお菊はどうなったのでしょうか?

菊次郎のその後

8歳で奄美大島を離れて、隆盛と糸子の子供となり、12歳でアメリカ留学をしました!

エリート街道まっしぐら!

父・隆盛の亡くなった西南戦争の後、外務省に入省。

アメリカ大使館、本省での勤務を経験し、台湾の台北県支庁町などを務め、帰国後は京都市長になりました。

武士→官僚→政治家

という人生を歩んだ人です。

菊次郎は6人の子供に恵まれ、孫も出来ました。

菊次郎の孫の西郷隆文さんは1947年(昭和22年)生まれで、陶芸家になりました。まだご存命です。

弟も陶芸家だそうです。

 

お菊のその後

お菊は菊次郎と同時に西郷隆盛に引き取られませんでした。

理由はよくわかりませんが、菊次郎がアメリカ留学した後も隆盛はお菊を引き取りたいと言っていたのですが、隆盛自身の病気のせいもあって、なかなか実現しなかったそうです。

そうする内に、お菊は14歳で大山誠之助と婚約します。

その後西南戦争が起きて、父はなくなるわ、兄・菊次郎は片足切断の大怪我をして戦犯として隠れなきゃいけないわ、でなんやかんやで大山誠之助と結婚できたのは17歳の時。

17歳で結婚とか、今の時代からみたら早いけどね。

大山誠之助と結婚したお菊には、

  • 米子
  • 慶吉
  • 綱則
  • 冬子

の4人の子供が生まれ、幸せに・・・とはいかず、夫の

大山誠之助が借金するわ、DVするわのゲス夫だったのです!

借金のかたに屋敷を売り、お菊たちは東京に引っ越しました。

そして子どもたちは、大山誠之助の兄・大山巌に引き取られました。

後にお菊はDVゲス夫と別居することができ、兄・菊次郎に保護してもらい生活したそうです。

 

次に西郷隆盛の3人目の妻・糸子との間に生まれた寅太郎、午次郎、酉三たちはどうなったのでしょうか?

寅太郎のその後

1877年、寅太郎が11歳の時に、西南戦争で父・隆盛が亡くなりました。

その後は戦犯の親族ということで、鹿児島でひっそり暮らしていた寅太郎たちでしたが、7年後の1884年(明治17年)にお許しが出て13年間ドイツ留学します。

帰国後は陸軍少尉となり、隆盛の功績によって華族になり貴族院議員となりました。

寅太郎の息子が、競馬騎手の武豊選手の曽祖父の兄弟の娘と結婚しているそうです。

寅太郎は子沢山で男8人、女4人もいたのです!

しかし長男は幼くして亡くなり、次男には子供は出来ませんでした。

三男の吉之助は法務大臣を務めた後、第2次世界対戦後は、暴力・恐喝・暴力団との癒着など、まー本当に色々と問題を起こし、1997年10月12日に亡くなりました。

午次郎のその後

午次郎の人生は、波乱万丈な西郷家の中では地味な方だと言われていますが・・・

・1907年(明治40年)堀藤十郎の次女・ヒデと結婚
・1919年(大正8年)兄の寅太郎の亡き後、遺児を引き取り養育
・1919年(大正8年)母・糸子を引き取る
・1922年(大正11年)母・糸子が79歳で死去
・1935年(昭和10年)6月65歳で死去

↑こう書くと地味ですが・・・

日本郵船社長の秘書となった午次郎は、兄・寅太郎が亡くなった後、寅太郎の家族を引き取ろうとします。

でも寅太郎の嫁は浪費癖があり、一緒に暮らせなかったので、家から出ていってもらいました。

そして寅太郎の子どもたちと母・糸子を引き取って平和に暮らしたのです。

昭和42年、次郎の長男・隆一(たかかず)の娘・伊津子が、島津家(薩摩藩藩主の家系)の当主・島津修久と結婚しました。

なんとまぁ。

かつての下級武士の子孫が、殿に嫁入りです!

酉三のその後

西郷隆盛の最後の子供、西郷酉三(さいごう とりぞう)は、1873年酉年の10月2日に生まれました。

酉三の身に起きたことを簡単にまとめると・・・

  • 1873年(明治6年)10月2日:酉三生まれる
  • 1873年(明治6年)鹿児島に移り住む。
  • 1877年(明治10年)西南戦争で父・隆盛が亡くなる。
    酉三が4歳の時。
  • 1901年(明治34年)母・糸子が東京から鹿児島に帰ってくる。
  • 1903年(明治36年)10月21日、酉三は結核で亡くなる。享年30歳。

酉三は結婚しませんでした。

 

 

30歳まで生きた酉三でしたが、結婚しなかったことから、元々身体が弱いなど、結婚に向いない体質だったのかもしれません。

だから酉三の子孫はいないと思います。

まとめ

西郷隆盛の子孫の方々をまとめると

2番めの妻・愛加那との子孫

隆盛の息子・菊次郎は京都市長

菊次郎の孫、つまり西郷隆盛のひ孫・西郷隆文さんは陶芸家!地元鹿児島で活躍中で2011年に「現代の名工」授賞しました!

息子の孫だから、

お菊の子供は大山家の養子になった。

3番目の妻・糸子との子孫

長男・寅太郎の子孫は男8人、女4人も生まれたので、きっと世の中に公開されていない子孫の方々がいるはずですが…

寅太郎の三男・吉之助は法務大臣を務めた後、スキャンダルを起こし自民党から離党。

その他、(株)開墾舎という会社を経営している西郷隆夫さんも寅太郎の子孫だそうです。

現在も鹿児島の経済発展のために頑張っていらっしゃいます。

 

 

午次郎の孫・伊津子は島津家に嫁ぎ、夫の島津修久さんは2018年で80歳になります。

そして、現在、株式会社島津興業の代表取締役社長を務めるのは、島津忠裕さん(1972年鹿児島県生まれです。)

島津修久さんは現会長なので、きっと島津忠裕さんは息子なのでしょうね。

ということは、株式会社島津興業社長・島津忠裕さんは西郷隆盛の玄孫!

 

いつも思うのですが。歴史上の偉人の子孫は、普通の一般人じゃない場合が多いです。

だいたい社長。

DNAだけじゃない何かを感じますね!

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