奥野瑛太『直虎』で武田勝頼役!どんな人?史実と役どころは?

   

奥野瑛太さんが大河ドラマ『おんな城主直虎』で武田信玄の息子・武田勝頼を演じます!

奥野瑛太さんってどんな人でしょう?

『直虎』での役どころや史実も紹介します♪

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奥野瑛太『直虎』で武田勝頼役!どんな人?

奥野瑛太だんの簡単なプロフィールはこちら!⇩

  • 生年月日・・・1986年2月10日(現在31歳)
  • 出身地・・・北海道苫小牧市
  • デビュー・・・大学生の時
  • 身長・・・176cm
  • 所属事務所・・・E.C.G
  • 特技・・・アイスホッケー、スキー、インラインスケート、ダンス
  • 結婚・・・未婚(たぶん)
  • 出身高校・・・北海道室蘭栄高等学校
  • 出身大学・・・日本大学藝術学部映画学科

奥野瑛太さんは、大学在学中にインディペンデント映画に出演しました。

大学卒業後は、主に舞台俳優として活躍し、2007年に誕生した劇団「赤堤ビンケ」で活躍。

2008年に入江悠監督の映画「SR サイタマノラッパー」にMC MIGHTY役で出演しました。

この映画「SR サイタマノラッパー」はシリーズ作品で、

2作目は「SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム」、3作目は「SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」。

奥野瑛太さんは、作品中に登場するヒップホップグループ「SHO-GUNG」としてアーティスト活動もしていましたが、2015年5月に解散。

現在、俳優、ダンサーとしても活躍中で湘南乃風のMVにも出演してます。

ちふれのCMで夫(彼氏?)役もしていました。⇩

主役は女性なのはわかるけど、もっと奥野瑛太さんの顔をアップにしてほしかった!

ではアーティストな俳優、奥野瑛太さんが大河ドラマ『おんな城主直虎』で演じるのは…

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奥野瑛太『直虎』で武田勝頼役!史実と役どころは?

奥野瑛太さんが『直虎』で演じるのは、戦国武将・武田勝頼(たけだかつより)!

松平健さんが演じていた武田信玄の息子で、1546年(天文15年)生まれの四男です。

武田信玄の長男(嫡男)義信(よしのぶ)は、謀反の疑いで幽閉され、自害しました。

次男の信親(のぶちか)は、生まれつきか、幼少期に失明していて

三男の信之(のぶゆき)は、11歳の若さで亡くなりました。

こうして四男の勝頼が信玄の後継者になったわけです。

 

勝頼(奥野瑛太さん)が大河ドラマ『直虎』に登場するのは、長篠の戦いのころからです。

長篠の戦いとは

1575年(天正3年)

武田勝頼(奥野瑛太さん)は、織田&徳川に寝返った自分の家臣・奥平を許せなくて、三河の長篠城に攻めに行きました。

すると、後ろから徳川軍が攻めてくるわ、前方は織田軍が馬防柵の向こうから火縄銃で攻撃してくるわで、勝頼が大敗した戦いです。

この時、兵の数の違いは

武田軍:1万5,000 VS 織田&徳川軍:3万8,000

とも言われています。

そして、勝頼(奥野瑛太さん)は、命からがら長篠から逃げ帰りました。

 

その後の勝頼は、寝返ろうとした家臣や親戚を懲らしめるために力を注いだり、お金のかかる城建築をしたりしながら、信長と和睦(仲直り)しようとします。

しかし、信長は和睦してくれず、勝頼を「天皇の敵」として登録してしまうのです。(東夷、朝敵とも言う)

 

家臣&親戚の裏切り後に織田がトドメ

1582年(天正10年)…長篠の戦いから7年後

武田家を裏切って織田信長息子・信忠の家臣になったという義弟・木曾義昌に腹を立てた武田勝頼(奥野瑛太さん)。

「成敗してくれるわ!」と怒り狂うのですが、雪が降って戦をやりにくくなり、義弟は「ゴメンて、やっぱ義兄の家臣に戻るから!」というので、とりあえず攻撃をやめることにしました。

この時、既に織田信忠(信長の息子)や家康、更に他の織田系家臣たちが一斉に武田を目指して軍を進めてきました。

更に!織田軍が武田攻めを始めた2月14日(バレンタインデーですね♪)、浅間山が噴火したのです!

信心深い当時の人達は、「浅間山の噴火=東国(東海地方から関東地方)に異変が起きる!」と信じていたことが、更に織田軍の背中を押したのか、武田軍をひるませたのか…

とりあえず、武田、マジヤバイ。

ってことで、武田の家臣たちは次々に寝返る&逃亡。

天目山の戦い

1582年4月3日(天正10年3月11日)

最後は室町時代・1417年(応永24年)に、武田家が一度は滅びた場所天目山(てんもくざん)を目指す途中で、勝頼と残っていた一族全員が追っ手に捕まり、自害したと言われています。

嫁も、息子も一緒に…。

後に徳川家康は、武田勝頼家族を弔うために「景徳院 」というお寺を建てました。

家康、イイヤツ…?

家康は、地元の人の気持をがっちり掴むために、地元の元領主。武田勝頼を大切にしているふりをするためにお寺を建てたということです。

やっぱり家康は、豆だぬき!

景徳院には、勝頼の妻の辞世の句が石碑に刻まれています。

黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思いに消ゆる 露の玉の緒

現代語訳:黒髪が乱れるように、世も乱れきっていて、いま主人を思う私の心も、露のように流れ落ちて消えようとしています。

武田勝頼、享年37。

辞世の句は

「朧なる月もほのかに雲かすみ晴れてゆくへの西の山の 」

現代語訳:ほのかに雲がかかって朧ろに霞んでいた月も、やがて晴れてゆき、西方浄土を目指して行くかに見える。

 

なんか勝頼の最後が悲しくて、辞世の句ににじみ出てます。

トドメに浅間山が噴火したし…。

今、勝頼の魂は静かに眠れているのでしょうか。

 

本能寺の変は同年の6月21日。

勝頼が亡くなってから、約2ヶ月後のことでした。

大河ドラマ『おんな城主直虎』では、武田勝頼(奥野瑛太さん)は第47回の放送まで登場すると思います。

奥野瑛太さんの演じる勝頼が、ただの熱血武将になるのか、それとも悲劇の武将の雰囲気をまとうのか、頼みです♪

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