『直虎』今川氏真(尾上松也)桶狭間から後どうなった?家が滅びてからの生活は?

   

大河ドラマ『おんな城主直虎』でお家が滅びてからも上等な着物を来て優雅に暮らしてる(ように見える)今川氏真(尾上松也さん)。

同じく家が滅びた直虎(柴咲コウさん)は、百姓暮らしをしているのに、この違いが面白いですよね!

今川氏真は、今後どうなるのか、滅びてからの氏真がどう過ごしたのか調べてみました。

スポンサーリンク

『直虎』今川氏真(尾上松也)の桶狭間から後どうなった?

 

第27回で女装して踊っていた氏真さん、お花とともにおちゃめなカットをっ♡ #NHK #大河ドラマ #おんな城主直虎 #尾上松也 #今川氏真

大河ドラマ 「おんな城主 直虎」さん(@nhk_taiga_naotora)がシェアした投稿 –

桶狭間の戦いで氏真の父・今川義元が織田信長に討たれた後、今川家はみるみる衰退していきます。

謀反を疑うばかり、疑わしい家臣たちを次々に排除していったからかも知れないし、何もしなくても武田信玄に攻め込まれて負けたかもしれません。

今川氏真が武田信玄に攻め込まれた時、嫁・早川殿の実家・北条氏康のところに逃げよう計画した氏真でしたが、失敗。

北条の援軍も間に合わず、掛川城で徳川家康と戦うことになります。

そして徳川家康にも負けた氏真は、一旦逃げて、北条の庇護を得るのです。

でも今川寄りだった北条氏康が亡くなると、息子の北条氏政は武田寄りだったので、本当なら首を切られていたところですが・・・

氏真は徳川家康のところに逃げ込みました。

 

昔、自分の家に人質として来ていた竹千代(徳川家康)を頼った氏真は、38歳の時に父・今川義元を討った織田信長とも仲直りします。

仲直りっていうか、氏真にとっては「父の仇は討ちません」という意思表示であり、信長とっては敵とも思っていない滅びた家の主だったのかもしれません。

スポンサーリンク

『直虎』今川氏真(尾上松也)家が滅びてからの生活は?

駿河を武田に攻め込まれ、徳川家康の庇護のもと、織田信長とも和睦した今川氏真は・・・

1575年:家康に牧野城(愛知県豊川市)と牧野城(静岡県島田市)の城主にしてもらった。

氏真、城主なのに出家する。

1577年:両方の牧野城主解任

 

氏真、役にたたなかったのかな…?本当のところ、わかりません。

 

その後浜松に移ったと言われています。

徳川家康が武田に勝って、駿河を取り戻した後、氏真に駿河を任そうとしますが、織田信長に「お前、それはダメだろう!アイツ、そんな器量ないぞ!」と叱られます。

というわけで、駿河は家康が治めることになりました。

その後、浜松を出た氏真は、京都四条に住み、文化人として名前を今川入道仙巌斎(仙岩斎)と名乗って活躍しました。

生活費は豊臣秀吉が出してくれていたと言われています。

1612年(慶長17年)、氏真は家康から500石の近江国野洲郡をもらい、更に品川にお屋敷をもらい、お江戸品川に住むことになります。

生活費は家康がなんとかしてくれたし、夫婦仲はとっても良くて、平和に歳を重ねた氏真。

1613年(慶長18年):愛妻・早川殿が亡くなり。

1615年(慶長19年)12月28日:氏真は77歳で江戸にて亡くなりました。

氏真と早川殿のお墓は、東京都杉並区今川二丁目にある宝珠山観泉寺にあります。

どこまでも戦国武将っぽくない今川氏真。

なんだか今の時代に通じる人ような気がします。

大河ドラマ『直虎』でも笙の音でオババサマ(寿桂尼)を呼んでたし(笑)。

織田信長にも狙われず、豊臣秀吉にも養ってもらえて、最後まで徳川家康に養ってもらった氏真。

歴史に残っていない魅力があったのかもしれません。

尾上松也さんが演じる氏真も、不思議な魅力がありますね!

スポンサーリンク

 - 人物, 大河ドラマ